朝顔日記

あさがくるまえに。

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 私は女の子にナンパされたことがある。

 男の子に見えた、ということではなく、私の顔がタイプだったらしい。それも、3人から。いまでもその3人とのLINEのグループがあるし、時々話したりもする。普通に良い子たちだ。

 正直に言って、自分の見た目はそこまで悪くはないと思う。道を歩けば皆振り返る美女、というわけではもちろんなく、初対面の人にお世辞で「可愛いね」と言ってもらえる程度の容姿、ではないかと。

 少し前(半年ほど前)までは自分のことを「私ブスやし~」なんてTwitter上で言っていたけれど、他人のそういったツイートをみてものすごくいらっとくるのをみて、やめた。

 私のツイートでたまにある「誰々に似ている」というのは、すべて他人に言われたことのあるものだ。

 父からは「小松菜奈に似てると思ったけどよくみりゃ違う」と言われたこともあるし、母からは「中3くらいまでは戸田恵梨香に似てた。いまは違う」などと言われたこともある。ここで言えるのが、似ている、と美人、は違う、ということであるけれども、いま言いたいのはそういうことじゃない。

 1番酷かったのは、中2のとき。

 心身ともに子どもから大人になろうとしているときで、何もかもが不安定だった。親に何か言われる度に物を投げつけ、喚き散らし、何故かわからないまま、涙を流しながら眠りについた。

 そんなとき、私は自分の顔の歪みに気づいた。

 唇、目、鼻、輪郭。

 人間である以上、左右対称にはなれない。けれど、当時の私は鏡に映る自分の顔をみて、その歪みを治したい、修正したいと、叶わぬことを願ってしまった。

 1年間で、鏡を3枚は壊した。1つ目は全身鏡で、次は手鏡。あとは覚えていない。

 いまは随分とましになって、歪みに囚われずに日々を過ごしている。

 けれど、それはいまも時々やってきては、私を鏡に張り付かせて、パニックにさせる。そういうとき、スマホが手放せなくなり、発狂する代わりにTwitterで心情を吐露してゆく。

 自分のうつった写真をみるのは比較的大丈夫だけれども、ふいに鏡をみてしまうといけない。歯磨きや髪のセットをするときも洗面所の鏡はスルーしているし、髪は括ったりいじったりを一切せず、鏡をみる必要のないようにしている。

 美容室などの鏡は、私自身の目が悪いので、ぼやけてしかみえない。日常生活で眼鏡をかけないのは、こういう理由からだったりもするのだ。

 一度歪みに取り憑かれてしまうと、やめよう、やめたいと思っても、鏡からどうしても離れられない。ナルシストみたいだな、と自分でも思うけれど、無理なのだ。

 あとから調べて、私のこの変なナルシストぶりは、「醜形恐怖症」なのではないか、と思った。しかし、医師に診断してもらったわけではないし、ただの自分の妄想かもしれないのだ。

 まるでメンヘラみたいだな、というのは禁句だろうか。

「顔が歪んでいても、美人な人はいるじゃない」

 そういう言葉は、決してこの苦しみから私を解放してはくれないことを、わかってほしい。私は自分が美人ではないから悩んでいるのではなく、顔が、顔のパーツが、一部分が歪んでいるから悩んでいるのだから。