朝顔日記

あさがくるまえに。

沈黙を愛せ。

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 私には友人がいる。多くはない。むしろ、ほかの人と比べて少ないのではないか、と思う。

 私の言う友人とは、「何でも話せて、その人のためなら何でもできる人」、のことだ。

 私がいま、何について悩んでいるのか。そして、私の秘密。それらをあっけらかんと話せるのが、友人だ。友人は、量より質だと思う。言い方は悪いけれど。

 周りに常に人がいる奴は、いつか必ず1人になる。誰に対してもにこにこしている人間は、気づけば1人だ。誰からも愛されているように見えて、誰にも傷をさらけ出すことができない。

 私はそういう人間を羨ましいと思うけれど、なりたいとは思わない。いろんな人間に自分、という存在を振り回されて大変そうだな、とため息をつくだけだ。

 てんちゃん、まなねえ、くじら師匠、さぁ。(友人、と呼ばせてもらっている方たち)

 話していて沈黙が続く人とは仲良くしたくはない。話題をわざわざ隅から隅まで探さなければ話が続かない人はお断り。にこにこしながら喋らなければいけない人とも関わりたくない。

 沈黙を、愛せる人がいい。

 私のお葬式に、一体全体、何人の人間がやって来てくれることだろう。お葬式というものは、じめじめとしていて、わざわざ自分の人生の限られた時間を割いてまで来たい、と思うものではないからね。

 親、親戚、小中高のクラスメイト、とか。そのあたりか。その中で、血の繋がりがない「私のために泣いている人間」が、私の本当の友人なのだろうと思う。この理屈でいうと、本当の友人というのは死んだあとにしかわからない、ということになる。

 だから、私がいま、友人、と思っている人間は、実はそうではない可能性だってある。

 はじめと言っていることが違う。訂正しよう。

 私が生きている間、彼ら彼女らは、私と特に仲の良い人間、なのであって、友人、とは限らないのである。