朝顔日記

あさがくるまえに。

チョコレート

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 チョコレートを食べた。

 家の中は暑くって、私の体温は普通より高くって、チョコレートは手にした瞬間に溶けた。小さな葉っぱ型のチョコ。

 口に放り込んで飲み込んでから指を見ると、どろどろに溶けたチョコがついていた。

 蝶は蛹の中で、どろどろになっているらしい。

 それを聞いて、実際に割ってみたいな、と思ったけれど、今の季節、なかなか蛹は見つからない。それに、女子高校生が1人でそんなことをしているのを想像したら、なんだかおかしくなった。

 ぺろりと指先のチョコを舐めると、飲み込む暇もなく、溶けてどこかにいった。

 蝶の液体を全部取り出して何かの器に詰め込んで冷やしておけば(放っておく、か)、チョコレートみたいに固まるのかな。やがて蝶になる?

 また後で調べてみよう。

不愉快な世界

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 コンタクトデビューしました。

 突如思い立って、約2年ぶりに眼科に突撃し、諸々の検査を受けて。

 最後に行ったとき、視力は0.4だったのに0.15にまで落ちていたので驚いた。きっと、スマホを長いことしていたからだろう。

 以前から、私は「ふわふわしてる」「周りが見えてない」と言われていたけれど、コンタクトをしてみたところ、それは視力の低下によるものだったのではないかと思う。

 コンタクトをすると、視界が広がって、景色が澄んだものになった。「どうですか?」と聞いてくる看護師さんの睫毛が鮮明に見えた。人の顔をまじまじと見たのはあれが久し振りだったかもしれない。

 コンタクトは、私にとって良いものだった。視界はクリアになるし、鼻に眼鏡跡は残らないし。

 けれど、見え過ぎる恐怖も覚えた。町中を歩いていると、人と目線が合うのだ。以前よりも、人混みが苦手になった。

 はっきりとした景色の中、私はどこを見ていればいいのか、未だによくわかっていない。

 ただ、この透き通った世界を、みんな見ていたのだな、と不思議に感じた。

感触

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 私は昔から、生きているものを触るのが苦手だった。特に、猫とか、犬とか。

 友だちで、犬を飼っている子がいた。「抱いてみなよ」と言われ、「どうやって抱いたらいいの?」と聞くと、「ここをこうやって……」と彼女は言った。

 私は恐る恐るその犬を持ち上げた。柔らかかった。熱かった。体温があった。指先に触れたところから、その皮膚の下に、硬い骨と、柔らかな内臓があることが伝わってきた。とても気持ち悪かった。このまま力を入れてしまえば、壊れてしまうんじゃあないかって。振り回せば、骨が折れて、内臓が破裂するんじゃあないかって。

 私はその感触に耐えられなかった。

 今でも生き物を触るのは苦手だし、犬の生々しい、生きている、という感触をこう思い出すこともある。

 赤ちゃんを抱き上げたときも同じだった。抱き方を教えてもらって、その可愛らしい物体を持ち上げると、腕に確かな重みと、まだ固定されていない首が、ぷらぷらとしていた。

 赤ちゃんの首を手で支えながら、私は吐きそうになった。簡単に折ってしまいそうで、怖かったのだ。柔らかくって、重くって、生きていることが気持ち悪かった。私は笑顔を必死に取り繕った。

 虫は、そこまで苦手じゃない。でも、蝶は無理だ。1度、指で羽を掴んだときに、力加減がわからなくって、潰してしまったことがあるからだ。とべなくなってしまった蝶。ぴくぴくと動くその姿が哀れで、そしてこれは私がやったのかと思うと、もう見ていることができなかった。

 どうして、みんな、生き物に触れることができるのだろう。壊してしまうかもしれないのに。

 いいなぁ。

幻想図書館

 私の頭の中に、図書館がある。

 今まで生きてきて、蓄えた知識、思い出、記憶。それは常に崩壊と再生を繰り返しながら、どんどんと新しい姿になってゆく。

 1番近くには、つい最近習ったばかりの知識、の棚がある。それらの情報は薄くて、少し力を加えれば崩れ落ちてしまいそうな素材でできている。それらよりも後ろにある本棚は、形をぎりぎり保ちながらも、刻一刻と劣化してゆくのだ。

 昔から、勉強はなんとなくできた。中学までは、特に何もしていなくても大体の教科は普通に80点以上を取れていた。そうして、私は今、進学校に通っている。

 けれど、高校に入ってからは、馬鹿になった。

 私は勉強に関して何らかの努力をしてきたこともなかったので、日々勉強するという習慣が無かったのだ。私は、どんどんと堕落していった。

 恐らく私は、呑み込みは速いけれど、記憶力が無いタイプだ。だから、国語と数学、という、まったく真反対な教科が得意だったのだと思う(今でも現代文は得意)。

 もう随分と、図書館の奥の方を掃除していない気がする。

 さてはて、僕の図書館はどうなっているのだろう。f:id:cla_sagao:20170513202418p:plain

愛の形

「昔の方が良かった」

 と言う人がいる。私自身もそう思うことがあるし、古き良き昔、などと言うので、あながち間違いではないのかもしれない。

 私は仮面ライダーが好きだ。

 1番好きなのはオーズ。2番目はW。いずれもマッハ!ではなくって、いずれも5年以上前の作品だ。友人からすれば、「それは古い」らしい。彼女はここ2、3年の特撮が1番好きらしいから。

 毎年、新しい仮面ライダーのフォルム、テーマなどが公開される度、「こんなの仮面ライダーじゃない!昔の方がよかった!」などと言う人は必ずいる。けれど、昔=普通と仮定すると、あれ、となることは多い。

 そもそも、仮面ライダーは「ライダー」。バイクに乗るから「ライダー」なのであって、そこから逸脱すれば、仮面ライダーではない、とその人は主張したいのだろうか。

 大人気作品で、「1番面白かった」と言われることの多い電王。あれは、「電車」だ。あれ、バイクは?!という感じで(電車をバイクで操縦するのだ!)、明らかに「普通」ではない。

 遡って見ると、仮面ライダーは昔から「普通」ではない。響鬼はベルトで変身しないし、龍騎仮面ライダー同士で争うし、Wは2人だし、ドライブは車だし!

 何が普通なのだろう。きっと、その人は、今の仮面ライダーをきちんと見ていないのだろう。今には、今の良さがあり、昔には昔の良さがある。

 人間は変化していく生き物だ。人間の身体は日々成長し、退化する。気象も、街並みも、歴史的建造物だって。ずっと同じものなど、この世には存在しない。愛の形も、変わってゆく。時代と共に。

 それを否定するか、受け入れるか。きっと、そこに人類の未来がかかっているのではないのかな、と私は思っている。

 神戸の、異人館に行ってきました。

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 とっても落ち着く空間だった。

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 久しぶりに雨が降った。

 そんなことをぽつりと呟くと、師匠(といつもそう呼んでいる)が「この前も降ったやん」と笑っていて、そうだったっけ、と思った。

 前々から薄々気づいていたけれど、僕は雨が嫌いじゃない。小説を書くときも、雨の描写が1番書きやすい。きっとそれは、僕が雨のことが好きで、よくみているからなのだ。

 雨の日の後、必ず熱を出す友人がいる。身体が雨に濡れて、どうしても冷えてしまうのだ、と言っていた。寒さに弱い人間なのだろうな、と思った。

 僕は寒さに強いため、冬も体調をほとんど崩さない。けれど、暑さには弱いので、色黒な癖して、外に出るとすぐに脱水症状が出てきてしまう。去年の夏、バンドの活動で学校までの坂道をベースを背負いながら登っていたら、道端にふらふらと倒れ込み、草むらに吐いてしまった。

 夏場は経口補水液を水筒に入れて持っていく。冬に飲むととても不味いものなのだけれど、夏に飲むと、ポカリみたいに美味しく感じられるから不思議だ。

 雨は人を憂鬱にさせる。

 その憂鬱さがまた自分を見直すきっかけになったりもする。憂鬱になる時間も、人間には必要だ。雨は、哀しみを洗い流してくれる。雨とは、「時間」なのだ。