読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

朝顔日記

あさがくるまえに。

感触

f:id:cla_sagao:20170521181207j:plain

 

 私は昔から、生きているものを触るのが苦手だった。特に、猫とか、犬とか。

 友だちで、犬を飼っている子がいた。「抱いてみなよ」と言われ、「どうやって抱いたらいいの?」と聞くと、「ここをこうやって……」と彼女は言った。

 私は恐る恐るその犬を持ち上げた。柔らかかった。熱かった。体温があった。指先に触れたところから、その皮膚の下に、硬い骨と、柔らかな内臓があることが伝わってきた。とても気持ち悪かった。このまま力を入れてしまえば、壊れてしまうんじゃあないかって。振り回せば、骨が折れて、内臓が破裂するんじゃあないかって。

 私はその感触に耐えられなかった。

 今でも生き物を触るのは苦手だし、犬の生々しい、生きている、という感触をこう思い出すこともある。

 赤ちゃんを抱き上げたときも同じだった。抱き方を教えてもらって、その可愛らしい物体を持ち上げると、腕に確かな重みと、まだ固定されていない首が、ぷらぷらとしていた。

 赤ちゃんの首を手で支えながら、私は吐きそうになった。簡単に折ってしまいそうで、怖かったのだ。柔らかくって、重くって、生きていることが気持ち悪かった。私は笑顔を必死に取り繕った。

 虫は、そこまで苦手じゃない。でも、蝶は無理だ。1度、指で羽を掴んだときに、力加減がわからなくって、潰してしまったことがあるからだ。とべなくなってしまった蝶。ぴくぴくと動くその姿が哀れで、そしてこれは私がやったのかと思うと、もう見ていることができなかった。

 どうして、みんな、生き物に触れることができるのだろう。壊してしまうかもしれないのに。

 いいなぁ。

幻想図書館

 私の頭の中に、図書館がある。

 今まで生きてきて、蓄えた知識、思い出、記憶。それは常に崩壊と再生を繰り返しながら、どんどんと新しい姿になってゆく。

 1番近くには、つい最近習ったばかりの知識、の棚がある。それらの情報は薄くて、少し力を加えれば崩れ落ちてしまいそうな素材でできている。それらよりも後ろにある本棚は、形をぎりぎり保ちながらも、刻一刻と劣化してゆくのだ。

 昔から、勉強はなんとなくできた。中学までは、特に何もしていなくても大体の教科は普通に80点以上を取れていた。そうして、私は今、進学校に通っている。

 けれど、高校に入ってからは、馬鹿になった。

 私は勉強に関して何らかの努力をしてきたこともなかったので、日々勉強するという習慣が無かったのだ。私は、どんどんと堕落していった。

 恐らく私は、呑み込みは速いけれど、記憶力が無いタイプだ。だから、国語と数学、という、まったく真反対な教科が得意だったのだと思う(今でも現代文は得意)。

 もう随分と、図書館の奥の方を掃除していない気がする。

 さてはて、僕の図書館はどうなっているのだろう。f:id:cla_sagao:20170513202418p:plain

愛の形

「昔の方が良かった」

 と言う人がいる。私自身もそう思うことがあるし、古き良き昔、などと言うので、あながち間違いではないのかもしれない。

 私は仮面ライダーが好きだ。

 1番好きなのはオーズ。2番目はW。いずれもマッハ!ではなくって、いずれも5年以上前の作品だ。友人からすれば、「それは古い」らしい。彼女はここ2、3年の特撮が1番好きらしいから。

 毎年、新しい仮面ライダーのフォルム、テーマなどが公開される度、「こんなの仮面ライダーじゃない!昔の方がよかった!」などと言う人は必ずいる。けれど、昔=普通と仮定すると、あれ、となることは多い。

 そもそも、仮面ライダーは「ライダー」。バイクに乗るから「ライダー」なのであって、そこから逸脱すれば、仮面ライダーではない、とその人は主張したいのだろうか。

 大人気作品で、「1番面白かった」と言われることの多い電王。あれは、「電車」だ。あれ、バイクは?!という感じで(電車をバイクで操縦するのだ!)、明らかに「普通」ではない。

 遡って見ると、仮面ライダーは昔から「普通」ではない。響鬼はベルトで変身しないし、龍騎仮面ライダー同士で争うし、Wは2人だし、ドライブは車だし!

 何が普通なのだろう。きっと、その人は、今の仮面ライダーをきちんと見ていないのだろう。今には、今の良さがあり、昔には昔の良さがある。

 人間は変化していく生き物だ。人間の身体は日々成長し、退化する。気象も、街並みも、歴史的建造物だって。ずっと同じものなど、この世には存在しない。愛の形も、変わってゆく。時代と共に。

 それを否定するか、受け入れるか。きっと、そこに人類の未来がかかっているのではないのかな、と私は思っている。

 神戸の、異人館に行ってきました。

f:id:cla_sagao:20170428204632j:plainf:id:cla_sagao:20170428204556j:plain

f:id:cla_sagao:20170428204722j:plain

f:id:cla_sagao:20170428204759j:plain

 とっても落ち着く空間だった。

f:id:cla_sagao:20170425202543j:plain

 久しぶりに雨が降った。

 そんなことをぽつりと呟くと、師匠(といつもそう呼んでいる)が「この前も降ったやん」と笑っていて、そうだったっけ、と思った。

 前々から薄々気づいていたけれど、僕は雨が嫌いじゃない。小説を書くときも、雨の描写が1番書きやすい。きっとそれは、僕が雨のことが好きで、よくみているからなのだ。

 雨の日の後、必ず熱を出す友人がいる。身体が雨に濡れて、どうしても冷えてしまうのだ、と言っていた。寒さに弱い人間なのだろうな、と思った。

 僕は寒さに強いため、冬も体調をほとんど崩さない。けれど、暑さには弱いので、色黒な癖して、外に出るとすぐに脱水症状が出てきてしまう。去年の夏、バンドの活動で学校までの坂道をベースを背負いながら登っていたら、道端にふらふらと倒れ込み、草むらに吐いてしまった。

 夏場は経口補水液を水筒に入れて持っていく。冬に飲むととても不味いものなのだけれど、夏に飲むと、ポカリみたいに美味しく感じられるから不思議だ。

 雨は人を憂鬱にさせる。

 その憂鬱さがまた自分を見直すきっかけになったりもする。憂鬱になる時間も、人間には必要だ。雨は、哀しみを洗い流してくれる。雨とは、「時間」なのだ。

 

 

日々朝顔

f:id:cla_sagao:20170423142921p:plain

 新しいなかまが増えました。

 

 

 朝、いつもグロッケンの音で目が覚める。昨夜用意しておいたアラームが時間通りきちんと作動して、私を起こしてくれるのだ。壁にかかったシナモンの時計を見ると、長針は「7」を指していて、「よし」と小さく呟いた。

 布団から起き上がり、洗面所へ。決して鏡は見ない。だって、壊れてしまうから。僕が「私」であるために、必要なのだ。朝から喚いていたら、学校に行けない。

 ばしゃばしゃと、皮膚科でもらった洗顔クリームで顔を洗ってすぐに、これまた皮膚科でもらった化粧水で保湿し、最後に皮膚科でもらった塗り薬を塗る。ニキビはなかなか治らない。それでも、僕はいつかこの肌がすべすべになる日を夢見ている。

 再び自分の部屋に戻り、今度は制服に着替えた。しかし、おや、靴下がない。急いでリビングのドアを開けて、家族に「おはよう」と言ったあと、ベランダからそれを見つけ出した。よく、そんなことがあるのだ。

「お母さん、ピザトーストお願い」

 母にピザトーストを作ってもらっている間、私は髪の毛を整え、軽く口をゆすぐ。そこでお手洗いに行っていなかったことに気づき、急いでトイレに入った。父が起きる前でよかった。父のトイレは長いから。

 すっきりしたところで手を洗い、リビングに戻るともうピザトーストはできていた。「いただきます」としっかり手を合わせ、半分に割って、齧り付く。もう、5年くらい朝食はこれだった。

 5分ほどで食べ終わり、「ごちそうさま、美味しかった」と、お弁当を作る母に独り言みたいに呟いたあと、歯磨きをした。

 部屋に戻ってスマホの電源を入れて、LINEの返信をしていく。データ通信はあまり使いたくない。できるだけ、Wi-Fiのあるところでスマホを使いたかった。

 しばらくすると「お弁当できたで」と母が呼びに来た。花柄のお弁当袋に紫色のお弁当箱と、クッキーを入れる。クッキーは3時間めに食べる。今日も誰かと一緒に食べよう。

 時刻は7時40分。日焼け止めを塗りながら家を出て、私は太陽の中を走り始める。

「いってきます」

f:id:cla_sagao:20170421001110p:plain

 小説を書くとき、「僕」を主観として書くのが1番書きやすい。

『僕はとんでもなく弱虫で、こんな狭く、古びて埃の被った部屋でしか生きられない臆病者だ。斜めから差し込む夕陽は僕には少しばかし眩しく、目を細める。カーテンを閉めようにもカーテン自体がないため、それを避けることはできないのが、この快適な場所の唯一の欠点だった』

 短編でも長編でも、最近「僕」ばかりで書いている。

 多分、私の中に「僕」という臆病な存在があるのだと思う。

 私は別に病んでるわけでもないし、精神疾患があるわけでもない。ただ少し、感情の制御や人付き合い、気分の浮き沈みが激しいだけだ。悲しいほどに、ごくごく普通の人間だ。

 誰だって、色んな自分を持っている。その中に、「僕」人格があっても不思議じゃないんだ。

 という結論に達したので、今後一人称は「僕」。無理して「私」を使うのは疲れました。